2013年2月22日金曜日

鬼畜米英、いや鬼畜日本:「民間交流する中国人は売国奴」、それが今の中国



● 宋栄華氏


サーチナニュース 2013/02/22(金) 10:11
http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2013&d=0222&f=politics_0222_004.shtml

民間交流する中国人は売国奴ではない=中国人有識者

  中国公共外交協会秘書長、外交学院客員教授の宋栄華氏はこのほど、日中交流の誤解を回避すべきだと論じた。
 中国網日本語版(チャイナネット)が報じた。以下は同記事より。

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  春節(旧正月)前、江蘇省無錫市在住の子どもから電話がかかってきて、こう聞かれた。
 「日中関係が悪い今、日本留学中に仲良くなった日本人の友人と交流を続けても良いものか? 
 日本の先生に会いに行っても大丈夫だろうか? 」
――私はこの質問に感動すると同時に驚いた。

  この問題に答える前にまず、両国の関係が悪化している時に民間交流を続けるべきか、友好・協力を論じれば売国奴になるのではないかという問題をはっきりさせておく必要がある。

◇対話=弱みを見せるわけではない

  日本政府の尖閣諸島(中国名:釣魚島)問題を巡る言動は中国の根本利益を侵害し、中国国民を怒らせた。
 疑うまでもなく、われわれは一致団結して闘わねばならない。
 中国政府もすでに一連の有力な対抗措置をとっている。

  尖閣諸島問題は手を焼く問題ではあるが、日中関係の局部的、段階的な問題であって、日中関係のすべてではない。
 そのため同問題のために日中関係の基盤を徹底的に叩き壊すことはない。

  闘争と同時により積極的、より深く日本各界との対話を展開する必要がある。
 もちろん対話は原則放棄ではない。
 対話を通じてより詳細にわれわれの立場と決意を説明することができる。
 対話によって他方面の用意が放棄されるわけでもない。
 平和的解決に向けて努力すべきだ。

  一衣帯水の日中両国には1000年以上の交流の歴史がある。
 もっとも暗い過去の歴史においても民間の友好交流は途絶えなかった。
 ただ、日本の中国侵略という暗い歴史によって、「侵略者の手先」や「売国奴」など軽蔑(けいべつ)的な呼称が生まれ、中国人は「売国奴」のレッテルを貼られるのではないかと日本人との交流に敏感になった。
 とりわけ両国関係が悪化している時にはこうした懸念が強まる。

  実際、交流の度合いをうまく把握すれば、心配することはない。
 その度合いとは、民族の気骨と人としての気骨を保つことだ。
 それは平等と相互尊重を貫き、媚(こび)を売らない交流だ。
 親密かつ個人的な関係であっても国家利益を犯す言動があれば、それを厳しく指摘し、必要な闘争をする。
 どのような交流でも原則を失い、度が過ぎてはならない。

  経済のグローバル化の時代にあって協力のない場所はない。
 大きいものではボーイング機から、小さいものでは生活必需品まで、ありとあらゆる国や民族が長い協力の鎖でつながっている。
 日中間の貿易額は3000億ドルを超え、経済的協力は広く深まり、すでに切っても切り離せない関係になっている。

  協力に重要なのは平等、互恵、相互利益だ。
 中国の発展と進歩にプラスになるのであれば、誰であろうが歓迎し、先進的なものを学び、吸収するべきだ。
 それが偉大な復興を果たしつつある民族にあるべき度量と気概といえる。


 こういう論が出るということは
 「民間交流する中国人は売国奴」
とされるのが、今の中国なのだろう。
 反日教育で洗脳されて育った若者にとって、日本は常に敵であり、それと仲良くするヤツは売国奴となるのは致し方あるまい。
 中国の教育が同じように今後とも続けられるなら、日中間のアキレツを回避する道はない。
 今の政治体制が崩壊するのを待つしかない。
 反日教育をするとこで中国民衆を一本に束ねているがはいまのシステムである。
 もしこの紐が切れたら、中国は散り散り群雄割拠になってしまう。
 不安定な国情をなんとかまとめあげているのがこの「反日意識」である。
 この感情だけが、中国人の共通の拠り所になっているということだろう。

 同じ記事をレコードチャイナで。
 こちらは人民網から。

レコードチャイナ 配信日時:2013年2月26日 8時4分
http://www.recordchina.co.jp/group.php?groupid=69770&type=0

「現在の日中関係でも日本人と付き合っていい?」
児童の質問から見る日中民間交流の誤解―中国メディア

 2013年2月25日、春節(旧正月、今年は2月10日)前に無錫のある児童が私に電話をかけてきて、現在の日中関係の下でも、日本留学時に知り合った日本の友人と付き合い続けていいのか、日本の先生を訪ねに行ってもいいのかと質問した。
 この質問に私は感動とともに驚きを覚えた。(文:宋栄華・中国パブリックディプロマシー協会秘書長、外交学院客員教授。広州日報掲載)

 この質問に答えるには、まず認識上の問題をいくつかはっきりさせるべきだと思う。
 両国の政治関係が良くない時でも、民間交流は続けるべきなのかどうか。
 友好や協力を口にすることは漢奸、売国奴になるのかどうか。

■「対話=弱腰」ではない

 尖閣問題における日本の誤った言動は中国の根本的利益を侵害し、中国人民を怒らせた。
 われわれが一致団結して断固たる闘争をすべきなのは当然で、中国政府はすでに一連の力強い報復措置を講じた。
 だが、尖閣問題は重大で厄介な問題ではあるが、日中関係のすべてではなく、局部的、段階的な問題だ。
 したがって、この問題のために日中関係の土台を完全に叩き壊すわけにはいかない。
 われわれは闘争すると同時に、より積極的に、より踏み込んで日本各界との対話を繰り広げなければならない。
 もちろん、対話は原則の放棄ではない。
 われわれは対話の中でより念入りにわれわれの立場と決意を説明することができる。
 対話はわれわれにとって他の方面での準備の放棄でもなく、平和的解決を勝ち取りに行く機会である。

■「交流=こびへつらう」ではない

 日中両国は一衣帯水であり、数千年の交流の歴史がある。
 最も暗黒なあの時代においてさえ、両国の民間友好交流は中断しなかった。
 だが日本が中国を侵略したあの暗黒の歴史のために「漢奸、売国奴」といった中華民族に軽蔑される呼称が生まれ、わが同胞の間に日本人民との交流に対する特殊な敏感性が生まれ、「漢奸」のレッテルを貼られることの懸念が生まれた。
 両国関係が良くない時には、この懸念は特に強まる。

 実際のところ、交流の度合いをしっかりと押さえさえすれば、懸念するにはおよばない。
 この度合いとは、民族の気概、人としての気概を保つことだ。
 交流においては対等と相互尊重を堅持する。
 こびへつらって平身低頭してはならないし、国を売って個人的利益を求めてはなおならない。
 たとえ最も親密な個人的交際であっても中国の国益を損なう言動があった場合は、厳粛に指摘して、必要な闘争を行うべきだ。
 交流は原則を失してはならず、譲れぬ一線を越えてはならない。

■「協力=売国」ではない

 経済グローバル化時代において協力なき場所はなく、協力なきものはないと言える。
 大はボーイングやエアバスの航空機から、小は日常生活の必需品まで、すべての国のすべての民族が長い協力のチェーンにつながれている。
 日中間の2国間貿易額はすでに3000億ドルを超えており、経済レベルの協力の幅と深さがわかる。
 すでに互いに包含し合い、一方が繁栄すれば共に繁栄し、一方が損害を被れば共に損害を被るレベルにまで達しているのだ。

 協力においては対等、互恵、ウィンウィンを重視する。
 われわれの発展と進歩に有利でありさえすれば、相手が高い鼻に碧眼であろうと、黄色い肌に黒髪であろうと、われわれは歓迎すべきだ。
 あらゆる進んだものを学び、参考にすべきだ。
 これこそが偉大な復興を実現しつつある民族が持つべき気概であり度量である。
(提供/人民網日本語版・翻訳/NA・編集/TF)




【中国海軍射撃用レーダー照射】

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