2013年3月4日月曜日

「中国側の主張を改めてチェック」?:『実効支配しているものに領有権がある』





 自分が正しいと思うなら、武力に訴えても行動すべきだろう。
 理屈だけでは事は動かない。
 『実効支配しているものに領有権がある』
 という国際ルールだけでも日本に分があるのだから、それを覆すことくらいはやらないと、事は始まらない。
 それをせずにウジウジしていると、周辺諸国からは中国には何ら「実行力はない」と侮られてしまう。
 実際、そうなりつつある。
 こういう記事ばかりだと嫌気が出てきて、それがさらに促進される。
 「中国には口でいうほどの力はないよ!」
 で終わってしまうことになる。


サーチナニュース 2013/03/04(月) 17:34
http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2013&d=0304&f=politics_0304_004.shtml

尖閣諸島問題、中国側の主張を改めてチェックする

  尖閣諸島の問題で、日中が1歩も主張を譲らない状態が続いている。 
 中国側は公船を日本側の領海に侵入させる事例も相次いでいる。
 さらに、中国海軍の軍艦が、日本の海上自衛隊の護衛艦やヘリコプターに、射撃管制レーダーを照射したとされる事件も発生した。

<<前半>>

  日中の主張は平行線をたどっているが、日本人としてこのあたりで、中国側の主張を改めて知っておく必要があるのではないか。
 もちろん、同調すべきというのではない。
 自国政府の主張を正しいと信じるなら逆に、相手側の「言い分」に耳を傾けた上で「それは違う」と言えねばならないからだ。

  以下の部分で、中国国営の新華社のニュースサイト「新華網」が、同問題についての資料として公開している文章の日本語訳を紹介しよう。
 中国側の動きに伴い、2012年以降も内容が付け加えられている。

  見やすさを考えて、段落分けは当編集部が調整した。
 各部分ごとに、補足説明や必要と思われる日本の外務省との主張の違いや、中国側の主張を読んで感じられる「自然な疑問」を【注】として付記した。

**********

(新華社掲載文の日本語訳)
●釣魚島の問題

  釣魚島(尖閣諸島の中国側名称)とその付属の島嶼(とうしょ)は、わが国の台湾省基隆市の北東約92海里の東シナ海の海域にある。
 主に釣魚島と黄尾嶼、赤尾嶼、南小島、北小島、およびいくつかの岩礁で構成されている。

  釣魚島その付属の島嶼は古くから中国の神聖な領土だった。
 歴史上の依拠も、法律上の根拠もある。釣魚島などの島は中国人が最も早く発見し、命名し、利用してきた。
 中国の漁民は歴史上、これらの島とその付近の海域で生産活動に従事してきた。

  早くは明代に、釣魚島などの島はすでに、中国の海防管轄範囲に含まれており、中国台湾に付属する島嶼であった。
 釣魚島はそもそも、「無主地」ではかなった。中国が釣魚島などの島の争う余地のない主人であった。

【注】
  釣魚島など、同諸島に関する地名は基本的に、中国側原文のものをそのまま使った。
 「東シナ海」など一部の地名は、日本側の呼称を使った。

  明代や清代の古い時代についての中国側主張に対して、日本の外務省は
 「中国の領有権の主張を裏付けるに足る国際法上有効な論拠とは言えません」、
 「国際法上、島を発見したり,地理的な近接性があることのみでは、領有権の主張を裏付けることにはなりません」
との見解を示している。中国が挙げる具体的な文献についても、尖閣諸島に該当する島の名称はあるが、
 「明や清に属することを示す記述は全くありません」
と指摘している。

  外務省は、中国側が
 「明代に釣魚島が中国の海防管轄範囲に含まれていた」
と主張する根拠としている『籌海図編』(1561年)についても、同書では同諸島が明の海上防衛の範囲に入っていたかどうかは明らかではなく、
 「地図に記載があることをもって尖閣諸島が当時一般に中国領として見なされていたことを示すことにはなりません」
と反論している。

  なお、『籌海図編』は、明朝が当時手を焼いていた倭寇対策のために制作された資料だ。
 そのため、倭寇の拠点や航海上の目標となると考えられた島については、かなり詳しい記述がある。
 倭寇の根拠地である五島列島も大きく扱われている。
 逆に、台湾についての記載はない。


 尖閣諸島の問題で、日中の主張は平行線をたどっている。
 日本人としてこのあたりで、中国側の主張を改めて知っておく必要があるのではないか。
 もちろん、同調すべきというのではない。
 自国政府の主張を正しいと信じるなら逆に、相手側の「言い分」に耳を傾けた上で「それは違う」と言えねばならないからだ。

  3月4日掲載の第1回に続き、中国国営の新華社のニュースサイト「新華網」が、同問題についての資料として公開している文章の日本語訳を紹介しよう。
 見やすさを考えて、段落分けは当編集部が調整した。
 各部分ごとに、補足説明や必要と思われる日本の外務省との主張の違い、中国側の主張について感じられる「自然な疑問」を「注」として付記した。

**********

(新華社掲載文の日本語訳)
  1895年、日本は甲午戦争の末期に、清政府の敗北が決定的になった情勢を狙って、釣魚島とその付属の島嶼を違法に盗み取った。
 その後、日本政府は清政府に対して不平等条約である「馬関条約(下関条約)」を強要し、「台湾全島と、それに付属する各島嶼」を割譲させた。

【注】
  日本政府が、尖閣諸島を日本の領土に編入すると閣議決定したのは1895年1月14日だった。
 日本政府の同島に関する調査は、日本の民間人の要望を受けた形で、1885年に始まった。

  日本政府関係者内には、尖閣諸島の日本領編入について清国を刺激することを懸念する意見もあったが、政府として「清国の支配が及んでいる痕跡がないと慎重に確認」できたとして編入を決めた。
 清国は当時、尖閣諸島についての調査を含め、支配を示す行動をとっていなかった。

  日本領編入の閣議決定は官報に掲載されなかった。
 日本にもこの点を問題視する人はいるが、外務省は
 「当時における他の一般の閣議決定についても同様だった」、
 「国際法上、先占の意思につき他国に通報する義務があるわけではありません」
と説明している。

  さらに閣議決定・領土編入以来、
 「民間人の土地借用願いに対する許可の発出や国及び沖縄県による実地調査等、尖閣諸島に対して公然と主権の行使」
を行うなど、日本は対外的にも領有の意志を明らかにしていたが、中国は何の反応も示さず、逆に中華民国長崎領事が、尖閣諸島を日本領と認める内容を含む文書を発行している(後述)。

  日清戦争を終結させるために下関で日本と清国の李鴻章全権大臣らの交渉が始まったのは同年3月20日。
 交渉締結は4月10日で、発効は5月だった。

  尖閣諸島の
 「日本領土編入」が日清戦争中であり、清国が敗北を認めた下関条約の3カ月前だったため、中国は2011-12年ごろから、尖閣諸島についての 日清戦争で奪い取られた。
 日本は本来の主権国である中国に返還せねばならない」
との主張を強めた。

  ただし、下関条約の対象に尖閣諸島は含まれていなかった。
 中国は領有権を主張するようになってから、
 「尖閣諸島は台湾に付属する島嶼(とうしょ)。
 したがって、下関条約の結果、日本に割譲を強要されることになった」
と強調するようになったが、
 下関条約の条文を読むと尖閣諸島を台湾に付属すると解釈することには無理があることが分かる。

  同条約では、清国が日本に割譲する島のうち、「台湾全島およびその付属諸島嶼」は第二条二で、澎湖諸島は第二条三で扱い、台湾本島と澎湖諸島を完全に区別して扱っている。

  澎湖諸島は台湾本島から約50キロメートル、尖閣諸島は台湾本島から約190キロメートルの位置にある。
 「台湾本島に近い澎湖諸島を台湾とは別に扱い、はるかに離れた尖閣諸島を『台湾に付属する島嶼』とする解釈は、通常の論理では無理がある。

  新華社は下関条約を「不平等条約」と批判しているが、日本に限らず当時の世界の常識で、戦争の勝敗が確定してからの講和条約が「平等条約」であることは、考えられない。
 つまり新華社は「言わずもがな」のことを書いているわけであり、背後には「戦前の日本軍国主義」についてのマイナスイメージを国内外に強調しようとの意図があると考えられる。

  中華民国8年(1919年)には、福建省の漁民が遭難し、尖閣諸島に漂着する事故が発生した。
 中華民国長崎領事は翌1920年、日本人が漁民を救助したことに対する感謝状を発行したが、同感謝状で中国人漁民が漂着した場所を「日本帝国沖縄県八重山郡尖閣列島内和洋島」と記述している。

  外交上、領事名義で発行した文書に自国領と他国領、しかも相手国側の実効支配に異議がある土地の所属を間違って記載するのは“絶対にありえない”ことだ。
 仮に「単純ミス」としても、外交官が正式に発行した文書である以上、責任の所在は「ミスをした国の側」となり、相手国(日本)は該当する土地について、文書を発行した側(中国)が
 「自国領と認識していないことを確認できた」
との前提で行動を続けることになる。

<<後半>>

 尖閣諸島の問題は日中の主張は平行線をたどっている。
 日本人としてこのあたりで、中国側の主張を改めて知っておく必要があるのではないか。もちろん、同調すべきというのではない。
 自国政府の主張を正しいと信じるなら逆に、相手側の「言い分」に耳を傾けた上で「それは違う」と言えねばならないからだ。

  第1、2回(前半)に続き、中国国営の新華社のニュースサイト「新華網」が、同問題についての資料として公開している文章の日本語訳を紹介しよう。
 見やすさを考えて、段落分けは当編集部が調整した。
 各部分ごとに、補足説明や必要と思われる日本の外務省との主張の違いや、中国側の主張を感じられる「自然な疑問」を「注」として付記した。

**********

(新華社掲載文の日本語訳)
  大事に世界大戦終結後、「カイロ宣言」と「ポツダム宣言」にもとづき、中国は日本が占領していた台湾や澎湖列島などの領土を取り戻した。釣魚島とその付属の島嶼は国際法上、すでに中国に復帰した。歴史をくつがえすことはできない。

  1951年、日本は米国などの国と一方的な「サンフランシスコ条約」を締結し、琉球群島(現在の沖縄)の管理を米国にゆだねた。1953年、米国の琉球民政府は勝手に管轄範囲を拡大し、中国の領土である釣魚島とそれに付属する島嶼を、管轄範囲の中に組み込んだ。

【注】
  日本の外務省は「カイロ宣言」と「ポツダム宣言」について「これらの宣言上、尖閣諸島がカイロ宣言にいう「台湾の附属島嶼」に含まれると中華民国を含む連合国側が認識していたとの事実を示す証拠はありません」と反論している。

  また、戦争の結果としての領土の処理は、「最終的には平和条約を始めとする国際約束に基づいて行われます」との国際慣例を紹介。第二次世界大戦後の「日本の領土を法的に確定したのはサンフランシスコ平和条約であり、カイロ宣言やポツダム宣言は日本の領土処理について、最終的な法的効果を持ち得るものではありません」との法律論で、中国側の主張を退けた。

  外務省はさらに、「サンフランシスコ平和条約締結に際し,尖閣諸島は日本の領土として残されましたが、主要連合国である米、英、仏、中国(中華民国及び中華人民共和国)のいずれも異議を唱えていません」と指摘。

  サンフランシスコ条約締結時、英国は中華人民共和国を承認しており、米国は中華民国を中国政府としているなどで「中国代表問題」が発生した結果、中華人民共和国、中華民国ともサンフランシスコ条約には加わっていない。日本と中華民国は日華平和条約を結んだが、中華民国は尖閣諸島の問題について異議を唱えなかった。

  中華人民共和国の周恩来首相はサンフランシスコ条約について、戦争中の1942年1月1日に連合国が発表した共同宣言で、「連合国は単独講和してはならないと」との内容が盛り込まれていることを根拠として、サンフランシスコ条約を「一方的な講和」として、批判する声明を発表した。

  同声明で周首相は、沖縄や小笠原などが米国の統治下に置かれることになったことを厳しく批判。カイロ宣言などで、日本の領土の扱いについては「台湾と澎湖列島、千島群島、庫頁島(サハリン、樺太)南部とその付近の島に対する一切の権利を放棄させることだけ」が決められていたと指摘し、米国が日本の領土の一部を統治下に置いたことを許しがたい勢力拡大の企てと非難した。

  仮に中国が尖閣諸島を「台湾の一部であり、すなわち中国領である」と認識していたならば、米国が尖閣諸島を統治下に置いたことについて、「同じ連合国の一員である中国の領土までを奪い取った」との言明がありそうなものだが、実際には尖閣諸島の問題に触れることはなかった。

  尖閣諸島の問題で日中の主張は平行線をたどっている。日本人としてこのあたりで、中国側の主張を改めて知っておく必要があるのではないか。もちろん、同調すべきというのではない。自国政府の主張を正しいと信じるなら逆に、相手側の「言い分」に耳を傾けた上で「それは違う」と言えねばならないからだ。

  第1-3回に続き、中国国営の新華社のニュースサイト「新華網」が、同問題についての資料として公開している文章の日本語訳を紹介しよう。見やすさを考えて、段落分けは当編集部が調整した。各部分ごとに、補足説明や必要と思われる日本の外務省との主張の違いや、中国側の主張を感じられる「自然な疑問」を「注」として付記した。

**********

(新華社掲載文の日本語訳)
  1971年、日米両国は「沖縄返還協定」のなかで、またも勝手に尖閣諸島を「返還地域」の中に入れた。中国政府は日米の、この種のひそかな領土の受け渡しの方法に最初から一貫して反対しており、承認していない。

  日本政府による「釣魚島は日本固有の領土であり、日中間に解決を必要とする領土紛争は存在しない」との言い方は、完全に歴史を覆い隠すものであり、根拠のないものである。

  1972年の中日国交正常化と1978年の平和友好条約締結の交渉時、両国の先輩指導者は大局に着眼して、「釣魚島の問題をいったん据え置こう。今後の解決を待とう」という、重要な了解と共通認識を得た。

【注】
  新華社の主張からは、尖閣諸島についての、長期間にわたる中国の「主張の空白期」の説明が、完全に欠落している。

  1895年の日本政府による「無主地であるので領土に編入」の決定がただちに発表されることはなかったとしても、その後の「民間人の土地借用願いに対する許可の発出や国及び沖縄県による実地調査」など、日本が公然と実効支配をおこなっても、なんの抗議もなかった。「紙切れ1枚」でもすむはずの抗議をしなかった。

  中国は第二次世界大戦の戦勝国だ。尖閣諸島が「過去の戦争により、日本にもぎとられた自国領」と認識するならば、日本の敗戦は“自国領土”を取り戻す最大のチャンスだったはずだ。中国はやはり、同問題について沈黙を続けた。

  また、戦後に成立した中華人民共和国は1970年代まで米国と厳しく対立していた。中国は朝鮮戦争、ベトナム戦争、米国の台湾支援、イスラエル支援など、外交問題について米国の言動をことごとく非難していた。米国は1972年まで沖縄の一部として尖閣諸島を統治していた。仮に中国が「米国は終戦時のどさくさにまぎれて、釣魚島(尖閣諸島の中国側通称)を奪い取った」と認識していたなら、同問題を「厳しく非難」して当然だ。しかし中国が「米帝がわが領土である釣魚島(尖閣諸島の中国側通称)を違法にも支配」といった声明を出すことは、ついになかった。

  それどころか、1953年1月8日付の中国共産党機関紙、人民日報は「尖閣諸島を琉球諸島に含める記事を掲載」、さらに国営・地図出版社の「世界地図集」(1958年出版(1960年第二次印刷)でも、尖閣諸島を日本側名称を用いて日本領に含めていた。

  中華民国(台湾)は1971年6月に、中国は同年12月に尖閣諸島に対する領有権を、初めて主張した。

  中国は尖閣諸島の領有権について、日中国交正常化時(1972年)や平和条約締結時(78年)には、「棚上げとなった」と主張している。日本側の記録になると、日中国交正常化のために訪中した田中角栄首相の方から周恩来首相に「尖閣諸島についてどう思うか」と尋ねたところ、周首相は「尖閣諸島問題については、今回は話したくない。今、これを話すのはよくない。石油が出るから,これが問題になった。石油が出なければ、台湾も米国も問題にしない」と回答した。

  1978年の日中平和友好条約締結の交渉に際して、トウ小平副首相(当時)は「今回のような会談の席上に持ち出さなくてもよい問題である。園田外務大臣にも北京で述べたが,われわれの世代では知恵が足りなくて解決できないかもしれないが,次の世代は、われわれよりももっと知恵があり、この問題を解決できるだろう」と発言した。日本側の福田赳夫首相は、応答しなかった。

  つまり、日本政府側が中国に対して「棚上げ論」を容認する言質を与えたとは認められない。




 うまくことがいかなかったための「捨てゼリフ」みたいのが次の記事。
 もうちょっと知的にと思うのだが。
 もしかしたらユーモアだと思っているのだろう。

jiji.com (2013/03/04-18:16)
http://www.jiji.com/jc/c?g=int_30&k=2013030400024

領海侵犯を正当化=尖閣国有化に「返礼ないと失礼」-中国全人代報道官

 【北京時事】中国全国人民代表大会(全人代、国会に相当)の開幕を5日に控え、傅瑩報道官(外務次官)が4日、記者会見した。
 傅報道官は、日本政府が沖縄県・尖閣諸島(中国名・釣魚島)を国有化したことについて
 「(1972年の)国交正常化時の両国の(棚上げという)合意に違反したものだ」
と指摘。
 「合意が存在しなくなったため、中国の(これまでの)自制の根拠がなくなり、中国の海洋監視船が釣魚島海域でパトロールするのは必然だ」
と述べ、度重なる領海侵犯を正当化した。

 傅報道官は、日本人記者の
 「中国外交はさらに過激化するのか」
との質問に対し、
 「あなたが質問した際、中国の記者がみな笑ったことに注意してほしい」
と述べ、
 「多くの中国人は記者も含めて中国は挑発に対してもっと強硬な態度になってほしいと望んでいる」
と説明。
 その上で
 「中国は対話や協議を通じて食い違いや矛盾を解決したいが、仮に相手の選択が強硬な措置ならば、贈り物を贈られて返礼しなければ失礼に当たる」
と述べ、日本政府の国有化には監視船派遣などで対抗すべきだとの認識を示した。

 一方、今年の国防予算額について質問されたのに対し、
 「予算案の承認後に公表する」
と回答を避けた。
 国防予算は2005年以降、全人代開幕前日の記者会見で公表されるのが恒例だった。
 これまでは国防費の透明性をアピールする狙いで事前公表してきたが、外国メディアに予算案のうち国防費だけを事前に大きく取り上げられ、「中国脅威論」が高まるのを警戒したとみられる。


 詳しくは下の記事がいい。


レコードチャイナ 配信日時:2013年3月5日 9時17分
http://www.recordchina.co.jp/group.php?groupid=69997&type=0

「中国人の声に耳を」全人代報道官が日本各界に呼びかけ―全人代報道官

 2013年3月4日、中国・北京市で今月5日に開幕する中国第12期全国人民代表大会第1回大会の記者会見が、北京市の人民大会堂で行われた。海洋をめぐる中国の外交姿勢について日本メディアの記者から質問を受けた傅瑩(フー・イン)全人代報道官は、釣魚島(日本名・尖閣諸島)問題に触れ、
 「当時清朝だった中国から日本が釣魚島(尖閣諸島)を盗み取った事実は明らか」
と強調した上で、
 「日本各界が中国国民の声に耳を傾けることを強く望む」
と語った。

傅報道官の発言の内容は以下の通り。

 日本メディアの記者:
 中国は「海洋強国」建設の青写真をいかに描いているのか。
 日本を含む周辺国との摩擦をいかに緩和するつもりか。
 中国の外交姿勢が今後より高圧的になることはないか。

 傅報道官:
 海洋強国の建設は中国の現代化の発展に必要で、中国共産党第18回全国代表大会の報告にも明記されている。
 中国は陸地の大国であり、海洋の大国でもある。
 そのため、対外開放と世界との融合をいっそう進め、海洋建設を強化することが中国にとっては不可欠だ。
 しかし中国の海洋建設が歩むべき道はやはり平和的発展と協力ウィンウィンに根差したもので、周辺国との海洋協力を特に重視する必要がある。
 この点については、私も過去に関連の活動に携わったことがある。
 例えば東南アジア諸国連合(ASEAN)との海洋協力は、目立った成果を挙げている。

 中国の外交姿勢がより高圧的になるのではという声は、ここ最近もよく耳にする。
 欧米の方と会うと、決まってこの話題になる。
 「あの発言にはどんな意図があるのか」
 「中国の態度は少し高圧的過ぎるのではないか」
と。
 これは恐らく日本側だけの見方ではないだろう。
 ほかの国にもこうした声はあるし、そうしたメディアの報道も見られる。

 かつて極めて貧しく弱かった中国が今は力を付けてきた。
 国際的な問題でも、すでに世界の中心的な位置付けにある。
 世界の中心はこれまで伝統的な大国が多かった。
 そんな中、新参者である中国の一挙手一投足が注目を浴び、中国がどんな役割を果たすのか、何をするのか、
 地域・世界に溶け込み他国とうまく付き合っていけるのかが焦点になっている。

 中国は、政治制度や人口、成長速度など、伝統的な大国と異なる部分が多い。
 そのため、他国が中国を完全に理解できるとは限らない。
 「国が強くなれば必ず覇権を唱える」
という過去500年の国際関係の伝統やロジックに照らして中国の今後を予測し、一部の現象を持ち出して自らの予測を裏付けようとする人もいる。
 こうした現象は確かに存在するし、存在しても不思議ではない。

 「中国の外交姿勢がより高圧的になることはないか」
との質問で中国の記者から笑いが起こったが、これはマスコミ業界を含め中国には、
 「さらに強硬姿勢を取るべき」
との正反対の見方が多数を占めているからだ。
 両国間にはこうした溝が存在するのが実情で、われわれはこの状況を認識する必要がある。

 政策面では、中国は独立自主の平和的外交政策を堅持する。
 自国の主権・権益を断固として守る一方、地域・世界の平和も積極的に維持していく。
 この基本的な原則・立場は30年間、揺らいだことはない。
 しかし領土問題で困難に直面するなど何か問題が生じたとき、他国からの挑発を受けた場合はどう対処すべきか。
 われわれは断固とした態度で、この問題を直視し対応・処理に当たるべきだ。
 これは、同地域の平和や平和秩序を守るという重要なシグナルでもある。
 アジア太平洋地域は、世界で平和を守り、国家間では信用を守り、互いの約束や合意を守らなければならない。
 そうしなければ、乱れてしまう。

 両国間に意見の食い違いが生じている原因は明確だ。
 すでに何度も説明しているのでこの場では重複を避ける。
 中国としては対話・交渉・協議を通じて意見の食い違いや矛盾を解決することを望んでいる。
 中国人は
 「一方だけではけんかはできない」(けんかになるのは双方とも悪いからだ)
とよくいうが、こうした認識が双方に必要だ。
 もし相手が強硬措置、合意に背くやり方を選択した場合、中国には
 「贈り物を送られて返礼しなければ失礼だ」
という言葉もある。
 したがって日本メディアの記者には、全人代の代表の声を、日本の政治家や有識者のもとに持ち帰ってほしい。
 逆にわれわれも、日本の国民や指導者が中国国民の考えや釣魚島(尖閣諸島)の歴史的事実を理解しているのか、客観的に向き合うことができるのかを知りたい。

 釣魚島(尖閣諸島)の基本的事実は非常に明確だ。
(1).1895年の甲午戦争(日清戦争)後、日本は当時清朝だった中国から釣魚島(尖閣諸島)を盗み取った。
 これは、日本政府の公文書や学術文献にも記載されている明らかな歴史的事実だ。
 こうした状況をありのままに日本の国民に伝えてほしいと切に願う。
(2).世界反ファシズム戦争に勝利して以降、
 「カイロ宣言」、「ポツダム宣言」に基づき、日本が占領した中国の領土はすべて中国に返還されることになった。
 この歴史的事実もはっきりしている。
 したがってわれわれが釣魚島(尖閣諸島)を語るとき、第二次大戦の勝利の成果を尊重する必要性を強調する理由はここにある。
(3).日本政府による昨年の釣魚島(尖閣諸島)「購入」は、国交正常化の際に両国間で交わした合意に背く行為だ。
 この合意がなくなったため、中国の自制も基盤を失った。
 したがって中国の海洋監視船による釣魚島(尖閣諸島)海域の巡航は必然的なものだ。

 日本メディアの報道によりこのメッセージがありのまま日本に伝えられることを期待している。
 全人代の代表として、日本の社会各界が中国国民の声に耳を傾け、過去に何が起き、現在何が起きているのか客観的に向き合うことを強く望む。
 そうすれば両国は対話の基盤を見出すことができるだろう。
(提供/人民網日本語版・翻訳/YT・編集/内山)




レコードチャイナ 配信日時:2013年3月5日 11時44分
http://www.recordchina.co.jp/group.php?groupid=70006&type=0

日中両国、「偶発的な武力衝突を避けるべき」―中国駐日大使

 2013年3月5日、中国全国政治協商会議委員、中国駐日大使の程永華(チョン・ヨンホア)氏はこのほど、新華社記者の単独取材に応じ、
 「現在の日中関係は1972年の国交正常化以来の谷底にあり、問題を引き起こした張本人でなければ問題の解決はできない。
 日本側が歴史と現実を正視し、誠意をもって中国側と共に釣魚島(日本名・尖閣諸島)問題について妥当な解決案と問題を制御する効果的な手法を探ることを望む」
と述べた。新華社通信(電子版)が伝えた。

 程大使は
 「現在は危機管理の強化が必要で、『偶発的な武力衝突』を防がねばならない。
 両国関係が徐々に健全、安定した発展の道程に戻るよう共同で推進する必要がある」
と強調した。

 尖閣諸島問題などをめぐる日本政府の昨今の言動により、現在の日中関係は深刻な局面に瀕している。
 程大使は
 「中国側は両国政府間の4つの政治文書原則の下、対話・意見交換を通じ見解の不一致を解決することを一貫して主張している。
 不測の事態を回避する危機管理制御メカニズムの構築に向けて日本側と意思疎通を図りたい」と語った。
(提供/人民網日本語版・翻訳/HT・編集/内山)






【中国海軍射撃用レーダー照射】


_